2025.9.18
ENND Dialogueは、ENND PARTNERS株式会社のCO-Founder & CEOである岩渕匡敦と、CO-Founder & Principal Advisorであるティム・ブラウンがホストとなる対談シリーズです。世界各地さまざまな分野で活躍するゲストを迎え、先行きが不透明な時代において、Humanity(人間性)に根ざしたビジネスを営み続けるための針路を探ります。
第一弾となる今回は、哲学者のマルクス・ガブリエル氏とENND PARTNERS ファウンダー・CEOの岩渕匡敦による対談を前後編にわたってお届けします。前編では、ガブリエル氏が提唱する「倫理資本主義」という概念について、着想の原点と今後の展開について伺います。

写真左:ENND PARTNERS CO-Founder & CEO 岩渕 匡敦 写真右:哲学者 マルクス・ガブリエル氏

岩渕匡敦:
本日はマルクス・ガブリエルさんと「倫理資本主義(※1)」について話したいと思います。私はひとりのコンサルタントであると共に日本のビジネススクールでも教鞭を取っていますが、そこでも資本主義を完全に否定するのではなく、より良い資本主義のあり方に向けた議論が重ねられています。ガブリエルさんが倫理資本主義について考えはじめたきっかけは何でしょうか?
マルクス・ガブリエル:
私が倫理資本主義について考えはじめたのは、いくつかの要因が重なった結果です。まず、2013年に日本の学術界と関わる機会を得たことは大きなきっかけの一つになりました。それ以前まで、資本主義というものを「経済価値化の近代システムのようなもの」だと考えていましたが、日本を定期的に訪れる中で、資本主義には多様な形態があることに気づいたのです。
その後、2019年に私はニューヨーク大学の客員教授に着任し、博士課程の指導教官でもあった哲学者のトーマス・ネーゲルと共に道徳の進歩について議論するようになりました。当時は反人種差別やジェンダー平等といった考えをどのようにしたら制度として応用可能なのかを検討していました。試行錯誤しているうちに、世界にパンデミックが訪れたんです。
岩渕匡敦:
世界中でロックダウンが行われた時期に、どのようなことを考えられていたのでしょうか。
マルクス・ガブリエル:
「ウイルスから社会を守るため」という名目で、国境や学校の閉鎖、レストランやホテルの休業など社会活動・経済活動を一時的にでも停止する必要が生じたのです。このとき倫理的な問題と経済的な問題が密接に絡み合っていることを痛感しましたね。
時を同じくして、ドイツのハンブルグでは民間資金による研究所が設立され、私はそこに招聘されました。この研究所はビジネス、哲学、政治の交差点にあり、資本主義に関する議論を進める場として知られていました。当時、ドイツ政府の大臣職のほとんどは哲学を専門に学んできた人々だったこともあり、ある種資本主義を批判的に捉えていたのです。私自身も「資本主義を克服するためには何が必要なのか」を問うていました。しかし、冒頭で岩渕さんがおっしゃったのと同様に、資本主義を完全に否定することは不可能であるだけではなく、大規模な貧困と飢餓を引き起こすため、倫理的に望ましくないという結論に達しました。
それから資本主義と親和性の高い哲学や経済学に関する大量の文献を読み漁るようになりました。フリードマンやハイエクのような新自由主義の思想家だけではなく、インド出身の経済学者・哲学者であるアマルティア・セン、近年では日本の経済学者・宇沢弘文の著作なども読んでいます。

岩渕匡敦:
倫理資本主義の概念は、一朝一夕に生まれたものではなく、さまざまな出来事や議論を経て形作られていったのですね。その中で、ガブリエルさんが倫理資本主義の構造をどのように整理し、発展させたのかを教えていただけますか?
マルクス・ガブリエル:
私の哲学のアプローチは「総合哲学」と呼ばれるもので、異なる要素を論理的に統合することに重点を置いています。倫理と資本主義の関係を考える際も同じアプローチを採りました。
端的に言えば、「資本主義 + X = 善」となるようなXを探すことが、私の研究の中心です。そして、そのXとは「倫理」だと結論づけました。なぜなら、資本主義には良い資本主義と悪い資本主義があり、善であるならば、そこに代入されるのは倫理であると考えたからです。
岩渕匡敦:
複雑なものを非常にシンプルな方程式に統合したわけですね。
マルクス・ガブリエル:
まさに。パターンを見出すのが私のやり方です。例えばアリストテレスは、哲学とは類似関係を見出すことだと語った哲学者です。彼は「経済(=Economics)」と「倫理(=Ethics)」という言葉を発明し、結びつけました。良い家庭を築くためには、家計の理論と同時に、人格陶冶が必要ということですね。
※1 マルクス・ガブリエルさんが提唱した、道徳的行動と経済的利益を結びつけ、持続可能な社会を目指す新しい資本主義の形。ガブリエルさんは著書『倫理資本主義の時代』において、企業が社会のルールや他社のトレンドに従うだけでなく、各社の状況に応じて徹底した倫理的な事業活動を行う企業が持続的に成長できるとしている。

岩渕匡敦:
このところ大企業の経営者と話をしていると、単に会社の成長だけを考える時代は終わったように感じます。戦争やサプライチェーンの混乱、デジタルイノベーションなどの影響で、企業のリーダーたちは次なる方向性を見つけるのに苦労しているわけですね。そこで、倫理資本主義に対する世界の反応について伺いたいのですが、特にこの1、2年でどのような変化がありましたか?
マルクス・ガブリエル:
この数年、私はドイツ、スイス、日本、フランス、イタリア、オランダ、北欧諸国など、非常に多くの国でこのテーマについて議論をしてきました。特に各国の政府や企業との対話では、気候変動問題と並び、倫理意識への関心が急速に高まっています。もはや倫理を真剣に考慮していないトップエグゼクティブと会うのが困難なほどです。つまり、どんなに純粋なビジネスマンであったとしても、資本主義の未来が倫理的であるべきだと認識しているわけです。
岩渕匡敦:
国や文化を問わず、倫理の重要性が認識されているということですね。では、日本についても少し伺わせてください。近年、日本企業のエグゼクティブたちと倫理的な経営について語ることが増えました。以前はあまり見られなかった動きですが、特にここ2年ほどで顕著になっています。利益最大化と倫理的正しさのバランスを取るためのアクションを起こす企業が増えてきたと感じます。ガブリエルさんの視点から、日本は倫理資本主義においてどのような可能性を持つ国だと思いますか?
マルクス・ガブリエル:
日本には独自の特徴があります。まず、日本は民主主義が深く根付いた国です。政治の枠組みとしても安定しており、自由主義と民主主義の融合が歴史的に確立されています。これは第二次世界大戦後に限った話ではなく、民主主義は日本国内でも育まれてきたものであり、少なくとも明治時代以降はそうだと考えています。
ここに私が考える日本の独自性があります。つまり日本は経済でも政治社会でも10年先を考えることができる長期的な視点を持つ国なのです。アメリカでは数週間単位、ヨーロッパでは4年先の意思決定が一般的です。一方で中国は何世紀も先の超長期的な思考を持っているように思います。
また日本に来るたびに、国民の倫理意識が少しずつ高まっているのを感じます。おそらく日本独自のビジネスモデルや雇用構造とも大きく関係していると思いますが、非常に興味深いのは漸進的に高まっているということです。
100年先の計画を立てようとすると、自由を抑圧することになりかねませんが、10年先の計画を立てるのであれば、正しく、そして穏やかに自由を増進していくことができるはずです。倫理資本主義のためには刹那的でもなく、永遠でもなく、長い道のりを歩む必要があり、そこに日本の可能性を見ています。
岩渕匡敦:
たしかに日本は100年以上続く企業が世界で最も多い国で、実は130年の歴史がある博報堂もその一つです。経済基盤と未来に対する文化的な視野を研究することには可能性がありそうですね。
岩渕匡敦:
倫理資本主義における日本企業の可能性について教えていただきましたが、マネジメントの面ではまだ遅れている部分もあると感じます。特に、戦略やガバナンスの分野では、西洋のシステムから学ぶべきことが多いでしょう。私たちはワンマン経営のような属人的なモデルではなく、体系的なアプローチや仕組みづくりの構築を支援したいと考えています。西洋的なマネジメント手法の導入と、倫理資本主義との間にはどのようなトレードオフがあると思いますか?
マルクス・ガブリエル:
とても重要な視点です。ビジネスにおける創造性とは他の誰もが見えていない価値の源泉を見つけることです。しかし、それは気まぐれな消費者行動や地政学的状況、自然環境の変化といったフィールドのなかで動き続けており、完全に予測することは不可能です。にもかかわらず、ビジネスはなんとか未来を形作っていく。倫理はこの未来を形作るための哲学的なディシプリンと言えるでしょう。
私はこうした倫理や哲学をガバナンスに組み込むためのモデルとして、「CPO(最高哲学責任者)」という概念を提唱しています。これは天才的な、文字通りの「哲学者」を企業の内部に位置づけることではありません。むしろ、まずは企業文化の内部に、倫理を調査する仕組みを作り、そこから消費者との関係からサプライチェーンまで外部関係を分析していくシステムのことを指します。

岩渕匡敦:
面白いですね。具体的にCPOはどのようなアクションを採るのでしょうか。
マルクス・ガブリエル:
「これは道徳的に良いことですか?」と、あらゆる場面で問うていくことです。ときには道徳的に良いことなのかわからないものや中立であるような物事もあるでしょう。明らかに悪いものから明らかに良いものまで、道徳的な指標のスペクトラムをイメージするのが良いかもしれません。その会社のある側面がそのスペクトラムのどこに位置するのかを客観的に測定していくわけです。こうすることで例えば「女性の退職率が高いのはなぜか」といった具体的なデータを分析し、継続的に評価することで、経営陣が倫理の観点から戦略を改善できるようになります。
岩渕匡敦:
CPOは絶対的な善を追求する存在ではなく、調査し、分析し、評価する仕組みを作ることで、具体的な企業課題と解決方法の間に良いバランスを見つけていく役割なんですね。参考にされた事例などはありますか?
マルクス・ガブリエル:
ブータンの国民総幸福量(GNH)指数は興味深いですね。私自身、この指標を発明したカルマ・ウラと一年ほど協働し、指標を調査しましたが、ブータン国民の幸福度を非常にうまく測定していると思います。もちろん日本はブータンとは異なる文化基盤や社会システムを持つため、同じ指標をそのまま採用することはできません。しかし、文化固有の現象を指標化することが可能であることを実証している点は非常に参考になると感じます。
後編へつづく。
Philosopher
1980年生まれ。ボン、ハイデルベルク、リスボン、ニューヨークで学ぶ。
2009年にわずか29歳でドイツ史上最年少の哲学正教授に就任以降、ボン大学で認識論、近現代哲学講座を担当し、国際哲学センターの所長を務めている。2020年以降、ニューヨークのニュースクール大学で哲学と新人文科学の特別講師を務め、さまざまな分野の同僚と新しい研究所を立ち上げる。
著書に『なぜ世界は存在しないのか』『「私」は脳ではない――21世紀のための精神の哲学』 “The Meaning of Thought” “Moral Progress in Dark Times. Universal Values for the 21st Century” などがあり、日本、アルゼンチン、ブラジル、チリ、ドイツ、フランス、イギリス、韓国、メキシコ、米国など、多くの国で出版されている。
ENND PARTNERS CO-Founder & CEO
Boston Consulting Group 東京オフィスにて、 Digital BCG の共同統括、Marketing, Sales and Pricing プラクティスの日本リーダーを歴任し、2024 年より博報堂DY ホールディングスの執行役員に就任。
過去には、ソフトバンク、 i2 Technologies、マッキンゼー・アンド・カンパニーなどの企業で、ハイテク・メディア・通信、自動車、消費財、エネルギー産業の経営戦略やデジタル変革を多数経験。『Harvard Business Review』などへの寄稿や執筆多数。経済産業省「アートと経済社会について考える研究会」の委員を務める。欧州、米州、アジアを含む20か国を超えるグローバルでのプロジェクトの経験を持つ。