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マルクス・ガブリエル×岩渕匡敦 対談(後編)|経済ではなく、アートが人間の文明を駆動させてきた━━AIと創造性の未来とは?

2025.11.21

ENND Dialogueは、ENND PARTNERS株式会社のCO-Founder & CEOである岩渕匡敦と、CO-Founder & Principal Advisorであるティム・ブラウンがホストとなる対談シリーズです。世界各地さまざまな分野で活躍するゲストを迎え、先行きが不透明な時代において、Humanity(人間性)に根ざしたビジネスを営み続けるための針路を探ります。

第一弾となる今回は、哲学者のマルクス・ガブリエル氏と岩渕匡敦による対談を前後編にわたってお届けします。後編では、AIの今後と、アートが人類史に与えてきた影響について議論が交わされました。

写真左:ENND PARTNERS CO-Founder & CEO 岩渕 匡敦
写真右:哲学者 マルクス・ガブリエル氏

写真左:ENND PARTNERS CO-Founder & CEO 岩渕 匡敦 写真右:哲学者 マルクス・ガブリエル氏

人間の幸福度を数式に変換する

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岩渕匡敦:
私たちはデザイン思考の世界的なリーダーである同僚のティム・ブラウンとともに、戦略コンサルティングとデザイン思考を統合する実践を行っています。デザイン思考は製品やサービスだけでなく、戦略やイノベーションといった企業経営全体にも応用可能だと考えています。

デザインには目で見て触れられる何かを生み出すだけではなく、人々の行動や思考、文化といった人間社会を深く洞察する力があると考えています。こうした力を会社経営全体に持ち込むことで、倫理資本主義の実践にも貢献できるのではないでしょうか。

マルクス・ガブリエル:
そうですね。さらに言えば、人間の幸福をデザイン思考、そして日本学や中国学、文学、美術史といった人文科学を持ち込んで研究するというのはどうでしょう。そしてそれを数学的に翻訳してみるのです。現代科学の真髄でもある、実体を数式に変換するということですね。まだ誰も実行していませんが、AIを使いながら実現することは可能です。いわば、はじめに文化の構造や特性を、そして文化の相互作用を探求するようなものでしょうか。

岩渕匡敦:
面白いですね。ガブリエルさんが会社を始めたら大成功しそうです。

マルクス・ガブリエル:
私もそう願います(笑)。実はいまAcademy for Deep Innovation, Business, Politics, Scienceという小さな会社を始めようと考えているんです。私だけではなく、トレーニングした人材が他の企業をサポートできるような仕組みづくりをしたいと思っています。

岩渕匡敦:
いいですね。多くの企業でガブリエルさんのような人材が参画していくと、倫理資本主義が広がっていきそうです。

私たちENNDの役割のひとつは、日本企業が倫理資本主義を実践していくための社会システムの構築を支援することだと考えています。日本企業がその方向へ進むためには、どのようなことが求められるでしょうか?

マルクス・ガブリエル:
一見、不思議に思われるかもしれませんが、法律や制度が後押ししてくれると思います。現在、アメリカでは企業と国家が対立する傾向がありますが、そうではなく、企業自身が自主的に倫理的規制を提案し、適切な法律や制度の策定を支援する。そして結果的に企業活動を改善していくサイクルを生み出すことで、より良い社会を実現できるのではないでしょうか。

岩渕匡敦:
まさに、私たちが目指している方向ですね。日本企業が倫理資本主義の未来を切り開くために、実践的なアプローチを進めていきたいと思います。

AIの未来は私たち次第?

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岩渕匡敦:
直近で重要になっているのが、AIをめぐる議論です。『倫理資本主義の時代』(早川書房、2024年)の中で、ガブリエルさんは「AIシステム自体はいかなる意味においてもインテリジェントではない」と述べられています。これについて、弊社のAI専門家から、AIの助けを借りることで、私たちはより創造的で戦略的な思考が可能になるのではないかと言われました。この考えについて、どう思われますか?

マルクス・ガブリエル:
基本的には正しい考え方だと思います。AIとは限られた時間内で問題を解決する能力を持つシステムです。アルゴリズムによってその速度は向上し、問題解決のプロセスを短縮できます。例えば、エスプレッソマシンが手作業よりも速くコーヒーを淹れるのと同じことです。

自動的にできる問題解決をAIに任せることで、空いた精神的なリソースを活用できるようになる。つまり、AIの役割は私たちの知的能力を代替することではなく、補完することであるということです。人間とAIのハイブリッドシステムが私たちをよりインテリジェントにしてくれるわけです。実際、ドイツではパンデミック後に子どもたちの知性が向上したという興味深いデータが出ています。

岩渕匡敦:
それは驚きですね。なぜでしょうか?

マルクス・ガブリエル:
私はデジタルトランスフォーメーションの副次的な効果だと考えています。私自身、9歳になる私の子どもの試験を見てみたときにも「小学5年生でこんなに難しい問題を解いているのか」と驚きました。さらには彼女のクラス全員がAの評定を取っていたんです。これはシステムがより知性的になっているのではなく、人間がよりインテリジェントになっているからだと思います。つまり、彼女たちはAIとともに成長する子どもなんです(※1)。

では現在、起こっている混乱が何かといえば、私たち自身が知性の海に囲まれて、何をすべきかわからないということです。人類の知性を向上させることができれば進歩できるかもしれませんが、邪悪な知性が現れることがあるかもしれません。

岩渕匡敦:
ティムに同様の質問をしたときにも同じような返答が返ってきました。これまで生まれたインターネットやソーシャルメディアと同じように、テクノロジーは良い方向にも悪い方向にも影響を与えます。例えばインターネットは情報の民主化を促しましたが、同時にフェイクニュースの拡散や情報過多による混乱も引き起こしました。ソーシャルメディアによるメンタルヘルスへの悪影響も指摘されています。

マルクス・ガブリエル:
その通りです。AIが良い方向に進むかどうかは今のところわからない。でもそれはAI次第ではなく、それを使う私たち次第だということです。

※1 『銀河ヒッチハイク・ガイド』(新潮文庫、1982年)で知られるダグラス・アダムスは「自分が生まれたときに既に存在したものは、当たり前のものだと感じ、15歳から35歳までに発明されたものは新しく刺激的で革命的に感じ、35歳以降に発明されたものは物事の自然の摂理に反したものと感じる」と指摘する。この視点を踏まえると、大人にとって懸念の対象となるAIも、若年層にとっては既に日常に溶け込んだ当たり前の存在なのかもしれない。

「土着的な知恵」と「テクノロジーの掛け算」が持続的なバリュークリエーションの上で重要になる

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岩渕匡敦:
日本の産業構造は、30年前と比較して大きく変化しました。かつては銀行やメーカー、自動車産業が中心でしたが、現在はB2B製造業、半導体、ITサービス、商社が主流になっています。こうしたポートフォリオの変化をふまえると、日本企業が倫理資本主義を取り入れる上で、優先すべき業界や適合しやすい領域などありますか?

マルクス・ガブリエル:
一般的にポートフォリオは分散させることが重要です。それが数学的に安全な戦略だからですね。しかし、当然そうしない方がいい場合もあります。AI革命が進行中であり、未来の産業構造は不確定要素が多い。今は誰もがカジノにいるようなものです。

岩渕匡敦:
結果はどうなるかわからないけれど、ベットしなければならない。

マルクス・ガブリエル:
生態学的危機に瀕していることも加味すれば、土着的(indigenous)な知恵と技術を組み合わせていくことが重要になるでしょう。先日は早稲田大学で、ぬか床の健康状態を測定するAIボットのNukabotを見せていただきました。これはぬか漬けという日本の伝統食に培われてきた知恵と、現代科学の技術が組み合わされた美しいアートプロジェクトです。

前近代の知恵は持続可能性の知識であり、特に近代以前の日本は希少な資源を扱ってきました。だからこそ、これからの日本企業は真に日本的なものは何なのか、それはどうしたら国外の人にとって価値あるものに変換できるのかを考えなければなりません。

食一つとっても、単に食べ物を輸出するのではありません。日本人の平均寿命の長さの秘密の一つは食だと考えるならば、世界の栄養問題に大きく貢献できるでしょう。これは単なる一例で、日本の自動車産業から生まれたハイブリッド車も素晴らしいアイデアでした。広く言えば、ハイブリッドは「見立て」と言い換えられるかもしれません。その意味では日本はハイブリッドの文化です。

経済を超えて、アートは人間の文明に大きな影響を与えてきた

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岩渕匡敦:
最後に、アートについてお聞きしたいと思います。根本的な質問ですが、なぜアートに興味を持たれているのでしょうか?

マルクス・ガブリエル:
問うべきは人類の歴史において、人間はどのようにしてサピエンスになったのかということです。人類学者によれば、それは洞窟壁画が描かれた約20万年前に起こったと考えられています。

実際に人間が火を使うようになってから洞窟壁画を描くまでには約80万年かかりましたが、それ以降、革新のスピードは加速し続けています。最も初期のアートは、おそらく洞窟に描かれた手形だったのではないでしょうか。二足歩行によって自由になった手は人類進化の大きな特徴であり、当時の人々はその重要性を認識し、まず手を描いた後に動物や人の姿を表現するようになったと考えられます。

これらの洞窟壁画は単なる絵ではなく、一種の体験でした。初期の人類は松明を持って洞窟に入り、揺れる光と影が映し出されることで、まるで原始的な映画のような視覚体験をしていたのです。私はこの没入型の体験が神経構造に影響を与え、知性の歴史が始まったと考えています。

その意味で、人類の歴史とはアートの歴史そのものです。人類の文明を最も強く動かしているのは経済ではなくアートだと思います。ドナルド・トランプの著書『Trump: The Art of the Deal』(早川書房、1988年))のタイトルにも象徴されるように、彼はそのことを正しく理解しています。映画「アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方」(2024年)でも、アンディ・ウォーホルとの会話を通して、アートが何かを理解するシーンが描かれていました。悪趣味なトランプタワーのホテルやブランド戦略もまた、アートが権力に与える影響を示しているのです。

岩渕匡敦:
非常に興味深いですね。以前、経済産業省の「アートと経済社会について考える研究会」の委員を務めたことがあり、Forbes Japanではアートと経済社会に関する連載もしています。先日はトップCEOの考え方とエドゥアール・マネについての記事を執筆しました。ロンドンのコートールド・ギャラリーを訪れた際に、『フォリー・ベルジェールのバー』というマネの作品を見て、衝撃を受けたんです。

マルクス・ガブリエル:
マネはフランスの画家の中でも群を抜いて重要な画家だと思います。フランスの社会学者ピエール・ブルデューは階級社会と趣味の関係を明らかにした研究で世界的に知られていますが、同様の手法を使ってマネに関する素晴らしい本も出版しています。

岩渕匡敦:
今度、手に取ってみます。本日はありがとうございました。今後も日本企業への倫理資本主義の実装をサポートしていけたらと思っているので、よろしくお願いします。

マルクス・ガブリエル:
こちらこそ、とても有意義な時間をありがとうございました。

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マルクス・ガブリエル

Philosopher

1980年生まれ。ボン、ハイデルベルク、リスボン、ニューヨークで学ぶ。
2009年にわずか29歳でドイツ史上最年少の哲学正教授に就任以降、ボン大学で認識論、近現代哲学講座を担当し、国際哲学センターの所長を務めている。2020年以降、ニューヨークのニュースクール大学で哲学と新人文科学の特別講師を務め、さまざまな分野の同僚と新しい研究所を立ち上げる。

著書に『なぜ世界は存在しないのか』『「私」は脳ではない――21世紀のための精神の哲学』 “The Meaning of Thought” “Moral Progress in Dark Times. Universal Values for the 21st Century” などがあり、日本、アルゼンチン、ブラジル、チリ、ドイツ、フランス、イギリス、韓国、メキシコ、米国など、多くの国で出版されている。

岩渕 匡敦

ENND PARTNERS CO-Founder & CEO

Boston Consulting Group 東京オフィスにて、 Digital BCG の共同統括、Marketing, Sales and Pricing プラクティスの日本リーダーを歴任し、2024 年より博報堂DY ホールディングスの執行役員に就任。
過去には、ソフトバンク、 i2 Technologies、マッキンゼー・アンド・カンパニーなどの企業で、ハイテク・メディア・通信、自動車、消費財、エネルギー産業の経営戦略やデジタル変革を多数経験。『Harvard Business Review』などへの寄稿や執筆多数。経済産業省「アートと経済社会について考える研究会」の委員を務める。欧州、米州、アジアを含む20か国を超えるグローバルでのプロジェクトの経験を持つ。

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